ピアニスト、作・編曲家として幅広いフィールドで大活躍中の“SALT”こと塩谷 哲さんが2025年2月8日に小金井 宮地楽器ホールでコンサートを行います。2017年7月以来の登場となる今回のステージではふたりのヴァイオリニスト、ヴィオラ奏者、チェリスト、ベーシストからなる<ソルト・ストリングス>を率いたアンサンブルをジャンルレスなスタイルで披露してくださる予定。演目を思案中の塩谷さんにお話を伺いました。
――塩谷さんは弦楽器の音が物凄くお好きだそうですね。
塩谷 哲(以下、塩谷):子どもの頃から憧れ続けています。できることならチェリストになりたかったぐらい!
――以前、お話を伺った時はドラマーになりたかったとおっしゃっていたような(笑)。
塩谷:それも本当です(笑)。オルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーだった時もパーカッションを叩いたりして“楽しいなあ”なんて思っていましたしね。要するに僕はリズム人間でありハーモニー人間なんです。前世はパリジャンですし(笑)。それはともかく、弦楽器というのはピアノとは別の表現力がある楽器で、それが凄く羨ましいんですよ。ピアノの音って減衰しちゃうでしょう? だからこそ、レガートやスラーを使って如何に旋律を弾くかという面白味もありますが、弦楽器をはじめ管楽器やボーカリストがメロディを朗々と歌っていると“いいなあ”と思ってしまいます。もちろん、ピアノは素晴らしい楽器ですし、だから弾いているんですけれど(笑)。
――弦楽器に惹かれたのはいつ頃ですか?
塩谷:幼少時代です。母に連れられて姉がレッスンを受けているバレエの稽古場に行き、そこで流れているチャイコフスキーの音楽を聞いたのがきっかけでした。物心付くか付かないかの子どもなのに、オーケストラの響きに凄く感動したことを覚えています。曲のタイトルや作曲家の名前も知らずに唯々、気に入って聞き入っていたんです。同時期に、家では父が愛聴していたオスカー・ピーターソンのレコードを“カッコいいなあ”と思いながら耳をそばだてていました。彼がジャズ・ピアニストだということも、ましてやジャズというジャンルがあることも知らずにね。そんな僕は今、ジャズを演奏し、オーケストラの譜面も書いています。やはり、原体験の影響というのは大きいでしょうね。
――原体験といえば、塩谷さんは子どもの頃、東京都の小金井市にある宮地楽器の音楽教室でエレクトーンを習っていたとか。
塩谷:5歳から中学の途中まで週に1回、自宅からバスで通っていました。仲間と楽しくアンサンブルをしたり、自分で作った曲も弾いていました。ですから、ホームグランドである小金井に来ると“帰ってきたなあ”と懐かしい気分になるんですよ。
――幼い頃から曲作りもしていたとは! 東京藝術大学の音楽学部作曲科に入学したのは、小金井での原体験が影響しているのかもしれませんね。
塩谷:そういえば、大学時代にヴァイオリンとピアノのためのソナタやチェロとピアノのための曲も作りました。その頃からチェロという楽器の存在感やサウンドに惹かれ、もしかしたら自分でも弾けるんじゃないかと思い、チェリストに頼んで楽器を触らせてもらったこともあります。弦の押さえ方を教わり、「動物の謝肉祭~<白鳥>」(作曲:サン=サーンス)を弾いた時は物凄く嬉しかったです。と言っても僕の場合、全てピチカートで弾いたんですけれど(笑)。プロになって、ストリングス・アレンジの仕事をいただけると大喜び! 譜面に書いた音が実際に鳴った時の感動というのはピアノを弾いた時とはまた違う種類の歓びなんです。作・編曲家の心をザワザワさせるというか、あれは何なんでしょうねぇ。話は飛びますけれど“1/fのゆらぎ”ってあるでしょ?
――予測できそうでできない規則性と意外性のある動きのことですよね。自然界に多く見られる現象でリラックス効果があると言われています。
塩谷:例えば、海岸で聞く波の音と録音した波の音は聞こえ方が全然違います。理由は、聞こえていないような小さな無数の音も現地では皮膚感覚で受け止めているからです。こういう現象は人間に何か訴えるものがあると思っていて、音楽を作る、演奏するというのも、その現象を生み出していると言えます。ピアノを例にすると“ドミソ”を弾いた時、実はそれ以外の音も鳴っていて、タッチの加減で響きは無限に変わります。ストリングスはその最たるもので、それをお客さまと一緒に感じながらコンサートを行えるのは本当に贅沢で幸せなことなのです。
――ところで<ソルト・ストリングス>は弦楽四重奏にウッドベースが入っています。
塩谷:ウッドベースが入ることでジャズ的なグルーヴが生まれる、これがポイントです。チェリストがベース・パートを弾かなくても音楽が成立しますしね。チェロは低音担当の楽器というイメージが強いですが、高音も素敵なので、もっと自由に弾いて欲しいと思っているんですよ。それと、ベースはソロもとれる楽器というのもありますが、プレイヤーがジャズ・ベーシストの井上陽介であることが重要なんです。彼は大阪音楽大学作曲科の出身でクラシックの素養もあり、非常にフレキシブルな音楽家。一緒に演奏し出したのは彼が渡米する前、お互い大学生の頃でした。
――長いお付き合いですね!
塩谷:当時は、六本木のジャズクラブなどで一緒に演奏していました。ジャズ・ヴォーカリストの伴奏を演った時など、僕はまだスタンダード曲を余り知らず、あたふたしながら弾いていましたが、彼は僕の弾くことを全部、理解してくれているようで、いつも凄いなあと思っていましたし、それは今も変わっていません。
――トップ・ヴァイオリンの藤堂昌彦さんとも色々なシーンでご一緒されていますね。
塩谷:彼との出会いは、アルバム『グイードの手』(2006年発売)を制作した時に、コ・プロデューサー&ギタリストの田中義人くんが紹介してくれました。以来、ヴァイオリンの音が欲しい仕事はほぼお願いしています。『コレナンデ商会』(NHK Eテレ)のヴァイオリンも基本、彼でしたしね。音楽性はもちろん、理解力やクリエイティヴ能力が本当に素晴らしい演奏家です。
――さて、2025年2月8日に行なわれるステージはどのような演目になるのでしょう?
塩谷:ソロ・デビュー30周年の節目だった2023年に、東京フィルハーモニー交響楽団とコンサートを行いました。「ラプソディ・イン・ブルー」(作曲:ジョージ・ガーシュイン)以外は、オーケストラ・アレンジを施した僕のオリジナル曲、加えてコンサート用に書き下ろした4楽章形式の新作『エレジー』も披露しました。この交響曲(全楽章かは未定)を<ソルト・ストリングス>ヴァージョンでお届けできればと考えています。実は第3楽章の《ロンド》は元々<ソルト・ストリングス>の為に書いたという経緯もありますしね。他にも、これまでに発表したオリジナル曲もラインナップに入れつつ、ストリングスと同時録音してアルバム『Wishing Well』(1998年発売)に収録したスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」や、アストル・ピアソラ作曲「タンゴ・フガータ」のアレンジ・ナンバーなど、カバー曲も演りたいと思っています。
――楽しみです!
塩谷:このプロジェクトは作・編曲家としての欲求を満たしてくれるんです。これまでに発表したソロ・アルバムの中には“この曲のここはストリングスのイメージなんだよね”と頭で描いていたことを<ソルト・ストリングス>と演奏すれば具現化できますからね。逆にその曲をソロ・ピアノで弾いた時に、お客さまから“あそこは弦の響きを感じました”と感想をいただくこともあったりして、それもまた喜びのひとつになっています。もちろん、どんな風に聞いてくれても構わないんですよ。ただ、僕はピアノを弾いている時に“ピアノ”以外の“なんとなくのイメージ”を持ちながら演奏していることが多く、それを具体的な言葉で表すのはちょっと難しいのですが。
――もしかして空想家?
塩谷:ですね(笑)。なので、僕が空想している世界観というか(笑)、ピアニストが弦楽器のサウンドに憧れて作る音楽をお届けします。それとね、アンサンブルをするということは何かに合わせるのではなくて、瞬間で動いた音楽に柔軟性を持って感じる部分が楽しいんです。そういう意味ではジャズの発想に近いですね。ですから、譜面通り、間違えずに弾けばゴールというわけではなく、今、ここで演っているリアリティや意味を求めています。きっちりとしたものを作るというよりも、起きたことに対して正直に反応し合う。そこにはお客様のヴァイブレーションも関係してくるので、一緒に楽しめればいいなと思っています。
――ところで、塩谷さんは様々なプロジェクトに携わっていますよね。
塩谷:コラボレーションも好きなんですよ。自分の音楽が他のアーティストの世界に貢献することにも喜びを感じます。『コレナンデ商会』もその感覚で音楽を担当し、充実した6年間を過ごしていました。ただ、僕の音楽を目当てにテレビを観ていた人はほとんどいないんじゃないかな。それがある日、番組用に書いた僕の曲を唄いながら踊っているお子さんの動画をSNSで発見し、非常に驚きました。“塩谷 哲”ではなく、音楽そのものが好まれている、僕のことを全く知らない、誰が作ったのかもわからない音楽に反応してくれている。これって凄いことだなあと感激しました。僕もいつかはこの世を去ることになりますが、数十年経った時に“この曲を演ってみよう”と誰かが僕のオリジナル曲をカバーしてくれたら最高です。名前ではなく曲が残って伝わっていく、それが夢ですね。
2024年8月29日(木)
小金井 宮地楽器ホールにて
インタビュー:菅野 聖