このドキュメンタリーは、能だけでなく、コンテンポラリーダンスなどさまざまなジャンルと共演する津村さんの姿をとらえ、「踊り」に貪欲に向きあう生きざまを浮かび上がらせます。ダンス・ファンも必見のドキュメンタリーを監督・撮影された三宅流さんにお話をうかがいました。
――津村さんの感性はアーティストのあるべき姿を示している
実験映画の監督である三宅流さんは、映画『白日』(2003年)上映の際に能楽師・津村禮次郎さんと偶然出会い、それをきっかけに、ドキュメンタリー映画の撮影を始められました。ドキュメンタリー映画の最初の作品は、若手面打・新井達矢さんが黙々と能面を彫る様子を追う『面打』(2006年)。その後、津村さんが佐渡で創作能「トキ」を創作する過程を描く『朱鷺島』(2006年)を作られました。そんな三宅さんが、実際に能を観るようになったのは、津村さんとの出会い以降だそうです。
「実験映画では暗黒舞踏やコンテンポラリーダンスなど、身体表現によるアート映画を撮っていましたから、身体表現全般に関心があって、能にも、ある種の憧れは持っていました。とはいえ、やはりなかなか入りづらくて。いま能に実際に触れてみて能のイメージが変わりました。ストーリーは豊富だし、とても多くの要素があって、さすが昔はエンターテインメントだっただけのことはあると思います」
『朱鷺島』以来、津村さんのドキュメンタリーをいつか撮りたい、と思い続け、ついに実現したのが『躍る旅人』(2015年)です。製作期間は5年。映画の中には、小金井薪能、佐渡の薪能や、小㞍健太、酒井はな、森山開次、平原慎太郎、小野寺修二といったダンサー・振付家との共演、そしてバリ島の伝統劇による新作創作が登場します。津村さんの活動の素晴らしさは、なんといっても多彩なジャンルとのコラボレーションです。
「和洋のコラボレーションをなさる人は他にもいますが、津村さんの場合、相手のジャンルに対する好奇心と尊敬が深く、相手と同じ地点に立って行うのが素晴らしいところ。能楽師として鍛錬を積んだ身体の軸は絶対に崩れない、という自信があるから、ためらいなくジャンルの垣根を超えられるのでしょうね。津村さんの身体は、別のジャンルに入ると、能の本質を一層見せてくれます。そんな津村さんの身体性にひきつけられました。また、津村さんの、自由で、強く、しなやかな感性は、アーティストとしてのあるべき姿を示しているのではないかと思うのです。そんな津村さんの人間性のあり様も追いました」
――舞台裏から見えてくる、生の身体性
撮影中は、やはり苦労もあったそうです。
「常にカメラを向けられている津村さんがストレスを感じているのが分かっても、映像作家としては撮らないわけにはいかない。それはこちらとしても葛藤でした。また、カメラがどこまで踏み込ん
でいいのか、その境界が毎回違うので、見極めの判断にも苦しみました。遠慮した結果、撮り逃したら、その喪失感は計りしれませんし」
しかし、撮影するうちにだんだんと距離感が縮まり、それまで撮れなかった場面を撮影できるようになったそうです。
「佐渡で、津村さんが部屋で一人、謡や動きを確認する場面がありますが、これは2013年の映像です。津村さんは佐渡で毎年公演されているので、その前に3年ほど僕も通いましたが、それまでは部屋での私的なシーンを撮ることができませんでした。そして最後の2013年、そろそろ撮れるかな……とカメラを向けたら、津村さんとふと目が合ったのです。そこで“撮るな”と言われたら止めるつもりでしたが、津村さんはそのまま確認作業を続けられました。
撮影していいかどうか言葉で確認するのは簡単です。でもそうすると、張りつめた空気が切れてしまう。最後の年にあのように撮れたのは、それまで積み重ねた信頼関係の結果だと思います。あの場面には、身体の波動、根源的な感覚があらわれていました」
映画の中には能やダンスのさまざまな公演が登場しますが、実際にはこの倍以上の舞台を撮影したそうです。
「このドキュメンタリーは、“舞台のメイキング映像”というより、舞台裏から滲み出る“生の身体性”を拾ったものです。ダンスも能も、完成した舞台よりも、そこからはみ出てくるものに、その人の身体性が表れます。公演のプロセスのなかで、津村さんのさまざまな要素が最も見える映像を選んで構成しました」
踊りとは、人生とは――能楽師・津村禮次郎の躍動的な生きざまと、研ぎ澄まされた身体性を、『躍る旅人』でぜひご覧ください。
取材協力:榊原 律子